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穏やかな瞑想のなかで
魂からわきあがるものを感じましょう 微笑みと熱い涙があふれてくるでしょうか それがあなたの道しるべ その心でいまいちど 自分の存在を感じましょう どこにいて何をやっていても変わらない あなたの揺るぎないものは何でしょう あなただけに与えられた経験 あなたにしか分からないこと 自分を確かめるために人と向き合い 現実を確かめるために苦しみと向き合い ふらふらとした迷い歩きも やがて道を定めていくでしょう あなたの一生をかける経験と智恵は 無限の可能性を秘めた種 たくさんの種を撒きながら暮らしましょう そして魂が肉体を離れゆくときには あなたの魂が生み出した 花と緑あふれるすばらしい世界が あなたを迎え入れるでしょう |
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1週間くらい、バテバテでした。
暑いうえ、久々に精神的脱落、してました。 自分の考えだけでは物事がうまくまわらないことが改めて分かった次第。まだ資本主義的な価値観を棄てきれていなかったんですね。 そして、ここでの生活に、真剣に向き合っていない失礼な自分に気づきました。 自分の根底にあるマイナスエネルギーとか、勘違いしてることとか、人との関わりのなかで出るものですね。 生きている限りこの、いのちを輝かせたい、それは本能的な欲求として誰もが持っているものと思います。 その方法は、一見矛盾しているようだけれど謙虚であり素直であることだなって思いました。 それが欠けている自分を痛感しました。 世界に対して懐疑を持つことは生きるための処方箋かもしれない、しかし生き延びるだけを考えるなら腕力がものをいうでしょう。 心を開かなければ、いのちは輝きません。 心を開くとはどういうことか、感じていきたいと思います。 自分が生きていることへの感謝の気持を表すためには、「莫大な」状態に身を置いて、献身することが望ましい。献身することで感謝の気持を表す人は、心安らかな人生を送ることができる。 (『パッチ・アダムスと夢の病院』 第5章 個人、家族、地域社会、そして世界との関係 より抜粋) 莫大な状態・・・世界のあらゆるものとのつながりを感じている状態、でしょうか。 テーマ:スピリチュアルライフな生き方 - ジャンル:ライフ |
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とてもよい表現です。
『君あり、故に我あり』 より抜粋 「真実を生きるとは、状況や人や自然を自分の欲得に沿うように操作することを避けるという意味である。我々は、他の人は他の人なりの真実を持っていることを受け入れる。なぜなら、人の心が捕えることができ、言葉で表現することができる唯一の真実などというものは存在しないからだ」 「あなたの真実は自分自身の共感の深い井戸から生れるべきものだ。故に真実を語るときは辛らつな言葉を避け、真実を語りながらも柔軟でなければならない。あなたは自分が間違った理解をしているという可能性にも備えなければならない。間違いに気づいたなら、自分の認識や見方を変える準備がなくてはならない。さらにあたなたは、他の人は他の人なりの真実を持っていることを認識する必要がある」 |
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青空に桜の淡いピンクの爽やかさや
風に舞う花びらの優雅さを楽しんでいますか? 時とともに描かれる芸術 それを美しいと思う人の心もまた美し 自然界はありのままにあるゆえ最善 人もまたありのままにあるとき最善 だからはっきりと言えましょう すべてのいのちは祝福されていること 同じ世界で ともに感動し 森羅万象とのつながりを感じたとき 人はその時その場所で 地上にまっすぐ立つことができるのです 習慣や惰性で生きていると、多くのメッセージを逃してしまいます。「目が覚めた」状態というのは、自分の言動や感情を自覚している状態です。 瞬間を自覚するというのは、集中力を高めたり行動や感情の切り換えをすばやくする訓練になります。 |
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非暴力つながりで「ホ・オポノポノ」に興味を持ち22日東京でのセミナーへ行ってきました。
これは人間関係の解決方法なのだけれど、単純なようで解りづらいです。 ヒューレン博士がこの日言ったことは、 1.私達は絶えず記憶の再生を行ないエラーを起こす。 2.エラーの解決は、記憶のクリーニング。ゼロ・無の状態に戻す。 3.みな本来は完璧な存在であり光であり、記憶がその光が発するのを妨げている。 4.ゼロの状態・聖なる智恵の意識であるあなたが、いつもインスピレーションを受けている状態は、何もかも完璧な状態。 5.あなたは、眼の前の現実に100%の責任がある。 6.自分をクリーニングし、問題のある現実に向かい「ありがとう」「ごめんね」「許してください」「大切だよ」など、それらを大切にする言葉を語りかける。 7.すべてのものには意識がある。 要するにこれだけ、でした。 博士はレジュメも見ずに話されてたので、少々説明不足だったのかもしれませんが、私は勝手に解釈してみます。 記憶とは? 博士の言う記憶とは、過去の事実ではなく、過去の事実から受ける感情、怒りや悲しみ苦しみなどのことと思われます。 本来、過去の事実は過去としてその「時」に残りますね。私たちは通常、それを脳に残します。感情的記憶は可変のものとなり、再現の恐怖が起こったり、記憶が歪んだりします。 ただ、記憶は後々、冷静になって思い出したとき大きな気づきを生んだりするので、記憶することが悪いのではなく、クリーニングとは恐怖や怒りや悲しみを手放すということだと思います。 現実に100%の責任がある? そんなわけないだろって、思いますね、普通。しかしみな創造主とつながっている存在であり、創造主の一部でもあるから、眼の前のみならず、現実すべてに責任がある、ということでしょうかね。 あるいは、責任を意識することで意識は創造主と一体になる。しかしこの世界の様子では、責任を負いきれなくなりそう・・・最後の手段はやっぱり・・・? 現実に対して責任と愛情をもって「ありがとう」「ごめんね」などの語りかけをすることで、眼の前の現実は、誰が悪いわけでもなく、自分と一体である創造主が生み出したことを意識することになります。 すべてのものには意識がある? 意識あるいは記憶?人間と人間以外とはまた違うのかも知れません。 人間対人間の場合、相手を意識的にコントロールせず、自分の聖なる意識と相手の聖なる意識とをつなげ、選択を変えてよい関係を築いていこうとコミュニケーションする。相手はそれを意識しないが、聖なる意識が働き行動が変わっていくということが起こるのだろう。 100%の責任の余談 もし、ひとりの人間が現実すべての責任を持つことができるのなら・・・というところで、はて、キリストは、と思った。 創造主は自分の身代わりとしてキリストを地上に降ろし、起こりうるすべての罪を負わせ、キリストの死とともに罪も消滅させた。そして罪のない純粋なる世界の預言として復活して見せた・・・? 正直、聖書の中で復活の場面がまず怪しいと思ってたのだけど、もしかして意味深? そして今日は東方教会での復活祭! テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体 |
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